「翻訳者と読む読書会」プラトーノフの『不死』を複数人で読むことでの発見、対話の深まりなど、翻訳の工藤順さんからのレポートです。
2018年11月に、ロシア作家アンドレイ・プラトーノフの作品集を出版しました。本を出版すること自体、これが初めての経験だったので、嬉しさはもちろんありましたが、自分にとってはそれよりもむしろ怖さのほうが大きく感じられていたというと、意外に思われるでしょうか。怖さ──それは、自分の名前に出版に関わる責任のほとんど全てを引き受けて、世に翻訳を問うことの怖さです。ロシア語界隈は特に、毀誉褒貶の激しい、恐ろしい戦場だということは、学生として傍目から見ていても明らかでした……。(また、最近のSNSでの言説を見ていると、あらゆる場面において表明される違和感が、それ自体は大切なこととは言え、あらかじめ対話のチャンネルを閉ざしてあるばかりに批難や罵倒以上のものとならず、それが回り回って「何かをすること・表明すること」そのものへの恐怖につながっていて、それが自分のメンタリティに悪い影響を及ぼしていたことも、否めません。──閑話休題。)
しかし、出版からちょうど1年が経つ節目に、またとない機会をいただき、読書会を企画してみる勇気が湧いてきたというわけでした。自分で言うのもなんですが、『不死』はとてもマニアックな作品集です。これを自ら進んで読んでくださった読者の顔を見てみたいと、(悪い言い方をすれば)そういう好奇心に負けてしまったということになります。
講演会でもトークイベントでもなく、読書会という形式にしたのは、わたし自身がべつに権威のある人間でもないし、翻訳者も読者の一人には変わりなく、そういう意味で読者どうしがフラットにおしゃべりできる場にしたかったからです。この背景には、学生時代から様々な機会をとおして、中心や権威のない場で生み出されるものの面白さを実感してきた経験があり、この読書会もそうした試みの延長線上のものとも言えるのですね。そして今回もまさに「読者の力」を存分に感じる、またとない機会になりました。
例えば、鉄道のこと。ご存知のとおり、短篇「不死」には鉄道用語が多く登場します。翻訳にあたってはロシアの「鉄道用語辞典」を参照しながら翻訳をしたのですが、それにも限界があり、なかなか苦労した箇所の一つです。今回、読書会にはいわゆる「テツ」、鉄道に詳しい方が参加してくださり、まさに翻訳中に必要だった機関車に関する知識をいただくことができました。
そのほかにも、プラトーノフをよく知らなかった方からも、思いもよらぬ本質的な問いをいただき、それについて四苦八苦しながらお答えするなかで、プラトーノフの新たな魅力を見つける……という場面もありました。こういうことは一人で読んでいると、なかなかありませんよね。
プラトーノフは非常に分かりにくい、複雑な作家です。読むたびに、また読む人ごとに、作品から別の顔が伺うことができるような気がしています。そんな作家だからこそ、このように読者たちが集い、フラットにおしゃべりできる会で新しい魅力を発見できるということもあるのではないかなと思います。
この読書会でロシア人のように飲み狂った友人と、プラトーノフのある長篇を訳す堅い誓いを契ったこともまた、この読書会が産み出した大きな成果です。プラトーノフの文章は、わたしにとって本当に運命的なものであり、一行一行のほとんど全てが、「わたしのための文章だ」と感じられる、本当に稀有な作家なのですね。今後も、彼の“悪文”に悩まされながらも、きっと付き合いつづけていくのだろうなと思います。
嵐の前夜の幻のようなひと時、参加されたみなさんに心から感謝します。またお会いできることを祈っています。
最後に、プラトーノフ『不死』への感想等、こちらにまとめてあります。感想をお待ちしています。ぜひご一読ください。 https://junkdough.wordpress.com/
工藤